カタチのハナシ

夜中まで仕事をしていたら眠気に見放されて、
所在なくただ時を過ごす。
疲れているのは確かで、思考はもやもやと輪郭を失う。

生活が一変してしまってしばらく経つ。
けれど手探りの日々にはあまり変わりがない。
やらなければならないこととやりたいことの多さに、
振り回されて心を亡くしているかも知れない。

ゆっくりと物を考えることは少なくなってしまった。

バイトの帰り道、真夜中の研究室、夜明け寸前の部室、朝焼けを背負って家に向かう間。
自転車を漕いで風を受けながら、通り過ぎる空気と、街の灯り、月光、
目の端に写るものに、引き寄せられるように体の中から、カタチにならない心を拾う。

感じたことは瞬時に遠ざかって、再現しようと思っても、カタチにならない。
誰とも分かち合えない。

そのことが切ないわけではないけれど。


誰かと暮らすようになる自分を、あの頃の自分は想像できただろうか。

喜怒哀楽、愛情とかその意味とか表現の仕方とか、ほんとに人それぞれだなと。
自分と同じと思っていると簡単に食い違う。
言葉ひとつ、態度ひとつ、どれをとっても誤解になりうる。
カタチって違うものだなと。

相手から差し出されたカタチが自分の知らないものだったり馴染みのないものでも、
前向きな想像力で、そういうこともあるもんだなと、受け入れられるように。
カタチはみんな違うからおもしろいと、言葉にするのは正しいけど、
現実はいつでも戸惑いを孕む。

ああ、、今日もうまくカタチにならなかったな。
やらなければならないこと、やりたいこと。
思いつきも感情も一瞬で過ぎ去ってしまって捕まえるのは難しい。
ままならなさも楽しむぐらいが軽やかに生きるコツだろうけれど。
思い通りになることが正しいとは限らない。
重いどりのカタチになるということは、思ったモノを超えないの。

それでも、思い通りのカタチが望みかしら。

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