下の2枚の写真を御覧下さい
2枚の写真、違いは歴然としていると思います。
赤く染まった落日の太陽を海に見送って、振り返った先には月が出ていた
春の宵、空は淡い水色。この季節特有の朧月は、満月には未熟な待宵の月
それでもその明るさは、満月のそれに劣らないものだ
撮影場所はなんでもない自宅の近くの住宅街の一角
見慣れたいつもの風景
美しい月に誘われて、ちょっとした思いつきとともに写真を撮らなければきっと
気づかないままだったかも知れない
私達の見る風景には結構色々な邪魔者がいる
この2枚の写真、何が違うかは分かっていただけるでしょうか
もともと撮影したものは左のもの、その後加工をしたのが右の写真
不完全ですが、電線と電柱を消しました
それだけで、空が広くなったように見えるかと
山もまたくっきりと近づいてきたように思えます
月光も明るさを増したような気さえします
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この前の年の5月、京都を旅行して強く感じたことは、その街に住む人たちが街の風景を大切にし
それをありのままに残そうとしている、そう言う意識だった
もちろん、全員がそうだとは言わない。観光地ならではの政策等もあるだろう
しかし、景観を守ろうとする意識は高いように思う
京都は特別だから、自分の街は守るほど大した景色もないからと
考える人もいるだろう。しかし、本当にそうだろうか?
私は、街ごとに特色ある風景、景観と言うものはあると思う
ただ、当たり前過ぎたり、その価値に気づいている人が少ないのだ
立山は(写真は実を言うと立山ではないのだけど)この3000メートル級の山々を背に
暮していつでもその山を見上げている人々と言うのは
日本中、いや、世界中どこを探したって、富山の人たちだけなんじゃないかと思う
山だけでなく海もまた、美しい景観を与えてくれる
(海に関しては、一概にキレイとは言えないところが悲しいが。ひと頃よりは
減った気もするが、やはりごみは絶えないし、油の膜をたまに見かける)
蜃気楼にしたって、とてもめずらしい景色の一つだ。蜃気楼と言う現象
大気の温度差がその境目に空気のレンズをつくり出し、そこを通る光を屈折させて
遠くの風景を歪ませたり反転させたりする、その現象自体は珍しいものではないらしい
ただ、この現象を認識するためには「遠くの景色」が必要なのだ
富山湾が弧を描く入りくんだ形になっているおかげで、対岸に景色が存在し
蜃気楼と言う珍しい景色を創り出している
これもまたやはり、この場所でしか見ることが出来ない風景なのだ
こういった景色、景観にもう一度目を向け、大切にしていくべきなのではないだろうか
風景を邪魔する電線、電柱を地中に埋める、景観を破壊する巨大な看板は立てない
そこまで大掛かりでなくとも景観を邪魔しない工夫は他にも色々あると思う
いくらでも実行のしようがあるのだ
まずはひとりひとりが自分達の街にもっと興味を持ち、誇りを持って
その街の住み良さや景色、美しさを守ろうと言う意識を持つことから始めなければならない
それは簡単なこと。デジカメや携帯でちょっと風景を写してみれば良い
自分の好きな風景を、どんどん街の中から見つける
それが、どうすればもっと素晴しいものになるのか、どうやったらそのまま残していけるのか
ちょっと立ち止まって考えてみれば良い。忙しい毎日の中で
忘れた振りをしているものたちにもっと目を向ければいい
これは誰かから教えてもらうものではなく、自分で探し出して考えること
だからこそ美しくて、かけがえのないものになるんだろう?