9.空色(晴天の色)


僕ら どこから来てどこへ行くのか 誰にも分からない 僕らどこから来てどこへ行くのか 誰も知らない だから僕ら どこへだって行ける どこへだって行ける

晴天の空の下 ざわめく街の中
周りを通り過ぎる人 人 人
問いかけてもきっと誰も答えられない 答えない

広い世界 世界は広い
でも 君は知っているかい? 本当は
人が生きるセカイは その人が感じられる範囲にしかないってこと
目に見える 耳に聞こえる 肌で感じる
そんな狭い範囲にしか存在しない
宇宙が今この瞬間にも膨張していても
地球上で今この瞬間にも戦争や災害が起きていても
それはその人のセカイじゃない 現実じゃない
他人事と言う言葉の通り セカイで起っていることじゃない
自分の身に起きたことではないから
関心がない 全く無いかは分からないけど
テレビの向こうで起きていることが
自分のことに思えないのは ある意味仕方の無いこと
だって ブラウン管の向こうは その人のセカイの「外」だから

僕には時折 ほんの身近なことさえ
だらだらと進む 物語を見ているような感覚になる
昔はもっと いろんなものが見えていた気がする
歳を重ねる度に セカイは狭くなるのだろうか
付き合う人も限られてきて
心寄せあう人も少なくなるのだろうか
そんなのは僕だけなのだろうか
目を閉ざしたものは何だったろうか

人の数だけセカイがあって
その中でそれぞれの人は生きている
十人十色 人が変わればセカイも変わる
それゆえ人と人が分かりあうことは難しい
理解しあうことは 互いのセカイに飛び込むこと
互いのセカイを 自分のセカイへほんの少し取り込むこと

それを分かっている人は少ない
実行出来る人はもっと少ない

でもぎこちなくみんな 互いのセカイをぶつけあっている
そこから僕は少し 身を引いてしまったのかな
僕はぶつかるのが嫌で 目を閉ざしてしまったのかな

僕のセカイで僕は生きる
時々誰かのセカイとすれ違ったりぶつかったり
あの日口ずさんだ歌も これまで通ってきた道も
僕が死んだらセカイごと消えて 誰も知らない 誰も知らない
それが寂しくなった時もあったけど
そんな寂しさも 僕が死んだら誰も知らない
だから 僕は生きている 自分のセカイの中で
遠い昔 ふと感慨めいて 願ったように
いつか誰かのセカイと 重なりはしないかも知れないけど
かするぐらいの人はいるだろう
かするぐらいはするだろう

世界は広い でも人が生きるセカイはひとつじゃない
晴天の空の下 通り過ぎる人

あなたのセカイはどこにある?
僕のセカイはここにある

僕ら どこから来てどこへ行くのか 誰にも分からない 僕らどこから来てどこへ行くのか 誰も知らない だから僕ら どこへだって行ける どこへだって行ける


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