31.紅梅色
近所の家の梅が咲いた
頬に触れる空気がようやくぬるみ始めた
23回目の春が来る …
あれは、何度目の春の頃だったろうか
近所にそれは素晴しい梅の木があった
丁寧に手入れをされた、良い枝振り
昔本で見た、尾形光琳の紅梅図のような
勢いがあり、気品漂う配置
…もっとも、あの時はそんなものは知らない
思い返せば、と言う話だ私はぼうっとその梅を見ていた
その桜の持ち主のおじいさんが私に声をかけてきた珍しいけ?
何を言われたかは、本当のところ覚えていない
ただそんなことを言われた気がする
この頃はまだ、梅も桜も見分けがつかない頃だったから
幼い私は真面目な顔で、おじいさんに問いかけたこれ、桜?
違う。これは梅だわ、坊主。
女の子なのに、兄のお下がりばかりを着ていた私は
しばしば男の子と間違えられた坊主じゃないよ。
そう言い返したが、おじいさんは聞こえていないようだ
梅の木に触れて言った桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿。梅は切らんと良い枝振りにちゃならんが。
おじいさんは私の方を見ないでしゃべっている
私も梅の木を見つめた
良く見ると、切った部分の周りから細い枝がのび、またそれを切った跡があり
さらに細い枝が天に向かっていた良い枝振りにすっときゃ、梅はいっつも切んならん。
でも、切ったら可哀想。梅だって痛いよ、きっと。
なーん、そんでも切らんといけんが。そうじゃなけりゃぁ、美しくならん。
おじいさんは頑固だからそんなことを言うのだと、幼い私は思った
それから数年して、おじいさんは亡くなった
おじいさんの梅は手入れする人もなく、今では野方図に枝がのびている
その姿は確かに、見るに堪えない美しい枝振りにするためには、切らなければならない
美しくなるために、枝を切り、身を削る
たとえ自由に枝をのばすことが出来なくとも
手入れをされて美しくある方が、木にとっても良いことだろうか
人も、たとえ思うようにならなくとも
叱られ、傷付いて、それでも、否それでこそ、美しくあれるのだろうか