40.桔梗(青みの紫)
それはある春の日
「凪、か」
新しい通勤路、この春から通い始めたばかりだ。
駅までの15分足らずの道のりを、自転車で駆け抜けていく。
同じく通勤途中の車に難題もおい抜かれて、海沿いの道から田んぼの間を過ぎて、
こじんまりとした町中を走っていく。
代わり映えのしない田舎道。
思えばこの1週間はため息と緊張感とそれに伴う胸のつかえをかかえながら自転車を走らせていた。今朝も同じ。
憧れて手にした仕事ではあるけれど、慣れないうちは苦しいと思うことの方が遥かに多くて、
毎朝憂鬱になる。
仕方ないし、これを越えなければ社会人としてやっていけないとは分かっている。
分かっているからこそこうやって、自転車をこぐのだ。……ぐに、
今日の海は凪、曇り空で、車の音がなければ本当に静かな朝。
元気がない自分を映しているようで、ああ、鬱々とする。見限るように、曲り角、町へ向って緩い坂道を上り始める。
ふとあらわれるそのまっすぐな道。
道の先には遥かに北アルプスの山々が霞んで見えた。田んぼのあぜ道が道の両端にのび、そこには雑草と見える青々とした草。
その隙間から、青紫の花が見えた。
桔梗だ。
緑の草の中、その色はとても映えて…
昔呟いた言葉を思い出す。まっすぐに生きるのって、意外と、難しいんだ。
この春、在学中にすっかり住み慣れてしまった仙台の街を離れる時、
お世話になったとある人に、こんな餞の言葉を貰った。「まっすぐにいきろ」
どんなつもりで言ったのか、確かなことは知れない。
かつて私が呟いた言葉を知っていたわけでもないはずなのに、
「まっすぐに」とそう言ってくれた。
その言葉は鮮やかに、とても鮮明に私の心に響いて、鳴り止まなかった。私は、素直にいきてきたとは言えなくて、どちらかと言えばひねくれていて、
誰にでも八方美人に振る舞いがちで、そんなところを知っていたのだろうか。
心当たりは、あるわけだけど。いつのまにか町の中に入っていた。駅まではあと少しもない。
いつもはこれから乗る満員電車に早々と嫌気がさしているころだったが、
不思議と気分は軽かった。私は、まっすぐにいきているだろうか?
正直、そんなことは分からない。
目の前のことを消化していくことしか今は、考えられない。
まっすぐかどうかなんて、考えている余裕もない。けど、それでも、あの言葉は私の奥底で鳴り響く。
そして、自分の望む姿が、おぼろげではあっても、確かにあるのだと、
その響きの中に私は知るのだ。だから、私はここに立っている。
まっすぐかどうかは分からなくても、確かにここに、立とうとしている。この先のいつかに、「まっすぐにいきている」と伝えるために
私は歩き出すのだ。
願わくばこの道が、夢へとつながっていますように、
否、たとえ道はなくとも、無理矢理にでも繋げられるように。電車に乗り込む。
人々の隙間に桔梗の色を見た気がした。
若い緑の中に咲く、青紫。
きっと、夢とは、希望とはそう言うものなのかも知れない。