52.杏色(アプリコット)


Don't stop music. こんな夜は
どうか音楽を止めないで
優しくて甘い音楽をずっとずっと響かせていて

アパートの屋上に出て、叶は空を眺めていた。
ちょっと肌寒い気はするけれど、夏の終わり、秋の風はまだ少し湿っていて、何だか妙になつかしい気分になる。
寂しいはずの秋の夜空は、今夜は何だか賑やかで、沈もうとする月を、星達が必死に引き止めているよう。
なんだか、変な感じだ。
なにが変って、自分がだけど。

屋上にちっちゃく縮こまってみる。膝を抱いて、なるべくコンパクトにまとまってみる。
その姿を、ミニマムって思って何だか馬鹿馬鹿しくなった。

叶は空を見上げる。
ねえ、あたしもこの星達みたいに、引き止めれば良かったのかな。
両親が離婚を決めた時も、そして母が夢を追ってアメリカに行くと言った時も、それから、このアパートの前の持ち主、自分に居場所をくれた、あの優しいおばちゃんが死んだ時も。
引き止めれば、みんなあたしのそばに残ってくれただろうか。

両手からこぼれ落ちたものは、もう、拾えない。
過ぎ去った時間は二度と戻らない。

ひとりが寂しいのではない。気楽なのは確かで、性にあっているとも思う。
と言う以前に、ひとりなわけじゃない。

このアパート、おばちゃんが死んで、あたしが持ち主になったこのアパートには、今は3人の住人がいる。
近所の水商売のおねーさんやおばさん、ばくち打ちのおじさんとかともたくさん仲良くなった。
学校も、勉強はまあ楽しいし、気の合う仲間もいる。
ああ、それから、超一流大企業の社長とも、良く分からない縁が出来た。

ねえ、あたしまだ17才だよね?とちょっと自分でも笑ってしまう経歴。

人って不思議。こんなものなのかな。

それよか、何だかさっきから、大事なことを忘れているような、誰かが呼んでいるような感じがする。
空を見上げる。
母さん?見た覚えの無い父さん?
それともおばちゃん?
…なんだろう。ひざをかかえたまま、コテン、と頭を傾げて考えてみる。
あたしは何を、忘れているの?

あれ?なんだか階下が騒がしい。
さっき帰ってきてみた時は、住人もまだ帰ってきていなかったらしく、一階にも二階にも人の気配はなかったはず。
誰かかえって来たのかな。
っつーか、それよりもなんだかもっと、大勢いる気配。

「…な、ん、だろう?」

ずーっとだまっていたから、声が掠れた。
なんだろう?

降りて行ってみよう。そう思って立ち上がる。
数歩あるくと軽い目眩。
気にせずそのまま、部屋を通って階段を降りる。

がだがだ、ことこと、それから人のコソコソ話し声。
やっぱり、数人ではない、十数人いる感じ。
居間のドアの前まで来たけれど、何だか開けるのが躊躇われた。
気づかれていないみたいだから、ちょっとこの前で待ってみよう。
あたしの直観は人より鋭い。自慢じゃなくて、事実。

五分ぐらい待っただろうか。「じゃ、呼んで来るわ」と舜一の声が聞こえた。小学校の時の知り合いで、二番目の住人だ。
ドアが開く。わっと、舜一が驚いた声を発した。

「か、叶、いつからそこに居たんだよ!?」
「んー、五分前?」
「っちゃー…、まいっか、入って入って」
「ねえ、何やってるの?みんな来てるの?」

いーからいーから、と背を押されて居間に入ると、クラッカーの乾いた音が響いた。

せーの、
『叶ちゃん、誕生日おめでと〜〜〜!』

きゃ〜と、はしゃいだ声をあげているのは、水商売のおねーさんたちと、ゲイバーのおねいさんたち。
びっくりまなこで叶は広くはない居間にぎっしりつまった人々を眺めた。ここ五年間で知り合った人のほとんどが集まっている。
わ、壮観。
壁も窓も色紙で飾り付けちゃって、わあ…、後片付け大変そうー。
ま、でも、みんなでやればイイか。

「さ〜、まずは写真取りましょうよ♪」
おねいさんのひとりがそう言ってカメラを取りだす。まてまてと周りが止めた。
「まずは乾杯、でしょう?」
と舜一が割り込み、彩人と暁がみなにグラスを渡し、ビールを注いで回っている。慣れない手付きが微笑ましかった。
「やーん、おにーさんたち、ここは本職にま・か・せ・て♪」
と、おねいさんがビール瓶を取り上げてしまった。
手持ち無沙汰な住人達は結局叶の相手をすることになった。彩人は肩をすくめてから、声をかけてくる。
「おめでと、叶ちゃん」
「ありがとう。良く覚えてたね。彩人の企画?」
「うんまあ、言い出したのは俺だったんだけど…」
舜一に話したところ、派手にやろうぜ、と企画がどんどんカスタマイズされていったという。
「祝い事はぱ〜っとやるのが一番だろ?彩人が企画じゃ、せいぜいお上品にまとまるだけだぜ」
彩人は苦笑している、おそらく自覚はあるのだろう。暁が花束を渡してくれた。色とりどりのコスモスの花束だった。
「おめでとう。ホントはバンドも呼びたかったんだけど、さすがにね」
そう言って、商売道具のギターを彼は持っていた。あとで、とはなしだしたところで、おねーさんとおねいさんが割り込んでくる。
「はい、叶ちゃんのグラス〜」
「やーん、あたしが注ぐの〜」
「あっ、それはあたしの役目〜」
そう言って、3つの注ぎ口が叶のグラスにビールを注いでくれた。ありがとう、と叶は微笑む。
「じゃ、叶ちゃんの18才の誕生日を祝って、乾杯」
『かんぱ〜い』
グラスの重なる音が響く。ビールが苦手な叶は半分だけ一気に飲み干した。
それから拍手がやんだ後、アコースティックギターの音が響く。聞こえたのは、べたでなつかしい曲。
『はっぴば〜すで〜とぅ〜ゆ〜、はっぴば〜すで〜とぅ〜ゆ〜、
その声とともに、奥からケーキが運ばれてくる。この人数だけに、特大のケーキだった。ウェディングケーキか?と思うほどである。周りには蝋燭が立てられている。これは、ケーキの周りを歩きながら消せってことかな?
歌が終る、叶はみんなの期待通り、ひとふきでなんとか蝋燭を消した。
また盛大な拍手。
それから、みな、それぞれプレゼントを渡してくれる。

ねえ、照れくさいから言わないけど、いままでで一番楽しいバースディだよ。

わいわいとみんな飲みはじめる中、電話が鳴った。みな、嫌な顔をしない。促されて叶は受話器をとろうとしたが、あ、と思い直して、ハンズフリーのボタンを押した。

「もしもし」
『直人だ。叶ちゃんかい?』
「そうです」
『誕生日おめでとう。その場に行けないのが。本当に残念だ』
「いいえ、みんな来てくれて、十分楽しんでいます」
『そうか…、それはそれで複雑だな。なるべく早く仕事を切り上げていくよ。それまで、酔っぱらわずに、待っていてくれ』
「まあ、ええ、あまり期待しないで下さい」
『酒は強いとマリンに聞いたが。では、また。ああ、プレゼントを彩人に預けてあるんだが、見てくれたかな』
タイミングよく、彩人が小さな箱を持ってくる。あけてみると、少し赤みを帯びた、杏色のシトリントパーズを連ねたピアスだった。
「素敵なピアスですね、ありがとうございます。トパーズ、ですね?」
『意外だったかい?青を引き立てる色を選んだつもりだ。良かったら使ってくれ』
じゃあ、といって電話は切れた。いつだったか、青めの服が多いと話していたのを覚えていたのだろうか。

すぐに又電話が鳴った。叶はまたハンズフリーのボタンを押す。

『はろー、じゃなかった、はーい琳、元気してる〜?』
聞こえてきたのは明るい女性の声だった。そして、叶のことを「琳」と呼ぶのは世界でひとりだけである。
「お母さん、おはよう、今日は早起きなのね」
母はアメリカにいる、時差を考えれば今頃向こうは早朝のはずだ。朝が弱い母なのに、と叶は思う。
『そうよ〜、眠いの。いいの、また寝直すから。琳、誕生日おめでとう。ああー、もうあなた、18才になるのね』
「そう。でも、まだたったの18才」
『まあ、うふふ、可愛いことを言うわ。ねえ、あたしからのプレゼント、見た?』
今度は舜一が持ってきてくれる。大きな平たい箱だ。もしや、とおもうと、中身はやはり服だった。深いブルーのベルベットのパーティドレスが出てくる。
『あなたがそれを着てるのを見れないのが残念だわ。直人とも示し合わせて、ぴったりのピアスもそろえたのに〜。また、あいつだけが見てタンス行きかしら』
「今度帰ってきた時には、来て待ってるよ。ありがとう、おかあさん」
『うふふ、イイ子ね、琳。そんなあなたに、もうひとつプレゼントがあるの』
暁が、また平たい箱を持ってきた。しかし、服にしてはちょっと箱が小さい。開けてみると、入っていたのは絵だった。印象派のような、明るい色遣いの絵が出てくる。描かれているのは青いイブニングドレスを着て、どう見てもこの居間としか思えない空間に、座っているひとりの女性、その向かいにはタキシードを着た男性が描かれている。女性の方は、おそらく自分、そして男性の方は…。
『誕生日おめでとう、私のかわいい叶。それは、世界にひとつだけ、君だけのために私が描いたものだよ、気にいってくれると嬉しい』
電話から聞こえてきた声に、叶は目を見開いた。直観でその人物が誰かを悟る。それから、何かに気づいたように、叶はアパートの外に飛び出した。
暗い夜の街に人影はない。気のせい?否、確かに、いたはずだ。
諦めて叶は居間にもどる。電話の向こうで母が呆れていた。
「ごめんね。でも今の声、録音だったでしょう?」
『そうよ、これは確かに録音、あなたの父親の、ね。途中で飛び出していったのね?でも残念、彼はもうそこにはいないわ、本当よ?』
「うん…、そういうことにしとく」
『物わかりが良くて助かるわ。さあ、ちゃんと彼の声を聞いてちょうだい。大きなヒントをあなたにあげたのよ?』
それから、ガチャン、とテープの始まる音がした。
『誕生日おめでとう、私のかわいい叶。それは、世界にひとつだけ、君だけのために私が描いたものだよ、気にいってくれると嬉しい。これから私の個展を開くのだが、興味があったら来てほしいな。私も愛する娘に会いたいよ、本当に。もちろん、君が嫌でなければだが。さあ、感の良い私の叶、きっと会いに来てくれると信じているよ。その時は、年上の彼氏も紹介してほしいのもだな。では、さよなら、マ・シェリ』
テープがきれる音に続いて、母の声でまたね、良い夜を、と別れの言葉が聞こえる。そしてすぐに電話は切れた。
「マ・シェリ、か。フランス語だね」
MY DEARと同じ意味だと彩人が教えてくれた。
「ヒントはフランス語、か。ま、いいや」
今夜はとにかく、ここに集まってくれた人たちと楽しく過ごそう。

夜はふけていく、楽しい一時とともに。
叶は、ちらりと杏色の宝石を見つめた。
父はどこまで知っていて、あんなことを言ったのだろう。
このピアスの送り主のことを、はたして知っていてあんなことを言ったのだろうか?
そう、海外旅行ぐらい、ねだれば彼はかなえてくれるだろう。
「でも、ねえ…」
彼氏はちょっと、無しだろう、と叶はピアスの箱を指で突いた。



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あああ、
果てしなく自己満足のための一品。
登場人物を知らない方はごめんなさい、
知っている方もごめんなさい。
チョイ役のはずの彼が、こんなにでばってくるとは思いませんでしたのことよ?
昔書いてた小説の主人公と設定を使用。俺の中で、こんな感じにストーリーがカスタマイズされています。
興味がある方は、諸井という名前で、ヤフー検索をかけてみましょう。見つかるかも。かもかも。うふふ。
杏崎叶ちゃんぐらい勘の良い方は、見つけられるはず。