65.カーキ
カーキ色。
サンスクリット語で泥土の意味だ。
その語源の通り、その色は黄みがかった灰色、乾いた地面の色だ。
こう言ってもピンとこないかも知れない。
けれど、おそらく70歳よりも年上の人にこの色のことを説明するのは至極簡単。
国防色、旧陸軍兵の服の色だと言えば事足りるから。
多くの国の軍隊はカーキ色を軍服の色として採用していた。
大昔、馬にまたがり槍や剣で戦争をしていた頃には、兵士はこぞって派手な格好をしたが、
兵器が人を殺す戦争にあっては目立たない格好こそが最良とされたから。
だから、もの語らぬカーキの色は、おろかな戦争をつぶさに見てきた。
殺したものも殺されたものも、その色を纏っていたのだ。
だからすべてを知っている。
本当の被害者が誰だったのか。
本当の加害者は誰だったのか。
責任を負うべきは誰だったのか。
無惨に殺されていったのは誰だったのか。
最後の時に人々が何を呟いたのか。
国のためにと戦った人の本意は何だったのか。
その色はすべての答えを知っている。
けれど語ることは出来ない。
呼び掛けに答えるのは、いつも、その色を知っている者だけ。
その色の服を身に纏い、もしくは纏わせ、覚悟を決めて戦地に赴いた者と、涙を飲んで送りだした者。
空襲の中を逃げまどい、略奪に耐えた人々だけが、カーキ色の軍服の物言わぬ思いを代弁する。
このまま時が過ぎればいずれ、カーキ色からなんらかのメッセージを受け取る者は誰ひとりいなくなるだろう。
それは、遠くない未来のことなのかも知れない。
戦前の後には戦争が来る。
戦争の後には戦後が来る。
では戦後の後には何が来る?
戦前が来る、ある人はそう答えた。
よくも悪くも時代は巡る。
思い返して20世紀、人々はあちこちで戦争を繰り返した。
省みて21世紀、また人は戦争を繰り返している。
カーキ色が再び国防色と高らかに謳われ、前線の兵士の死に装束となるのだろうか。
そしてそれが終わるときまた、カーキの色は物言わぬ伝達者となり、忘れられるまでのわずかの間、
平和への祈りと戦争の悲惨さを人々に伝えるのだろうか。
被害者は数えきれない、その被害者の数だけ加害者がいる。
そしてその両者の重みを背負うべき責任者がいる。
国のためにと死んでいった人々、否、大義名分をもって集められ、駆り立てられ、国に殺された人々。
その人の思いは何だったのか。
二度と戦前と言う時代がこないためには何が必要なのか。
戦争を知らない世代にはカーキの色から何かを読みとることは出来ない。
けれど、それを見つめて考えることはできる。それこそが役目、我々の。

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