思考実験

2/14 地元の飲み屋で

いつもの店のカウンターに座り、代わり映えのしない相手と酒を飲んでいたら、ふと
『男と女の間に友情は成立するか?』
という、使い古された命題が聞こえて来た。
ちらりと背後のボックス席を眺めると、大学生らしい男女が4人。
みたところカップル同士、と言うより、サークルか研究室かでいつもつるんでいる仲間という感じだ。
「あり得ないだろ、絶対」
男の声でそんな台詞が聞こえる。
「えー、やっぱり男ってそうなんだー」
今度は高い女の子の声。からかうような、馬鹿にしたような響きがあった。
「あたしもあり得ないと思うなー。っていうか、カレシに親しい女友達とかいたらすっごいやだもん。「あいつは友達だから」とか言われても信用出来ない」
別の女の子の声が訴える。実際にそんな事があったんだろうな、と邪推した。
「それはでもさー、いるよ?バイト先の女の先輩とか、彼氏いる人だけど、一緒に飯食ったりするし、でも何とも思わないし、思われてもないし」
これは「あり得ない」と言った男とは別の声。その男は(止めておけば良いのに)続けてこう言った。
「っていうか、ここにいる俺らの間にあるのは友情じゃないってこと?」

「・・・おい、シカトすんな」
後ろのボックス席の奇妙な沈黙を破って隣から連れの声がした。
「へ?ああ、ごめん、聞いてなかった」
「悪いと思ってないくせに謝るな。どうかしたのか?」
後ろから聞こえた会話をかいつまんで説明した。くだらないと切り捨てるかと思いきや、
「お前はどう思うわけ?」
などと聞いてくる。ウィスキーのグラスに口を付けて、一口飲む。舌を焼いて、アルコールが喉を滑り落ちた。
「まずは、友情の定義だね」
「あん?」
「友情がどういう感情なのか定義しないと話が進まないだろ?男か女かは生物学的に決められるけどさ」
「性同一性障害はどうすんだ?」
「話をややこしくするね・・・わかった、こうしよう。男女の定義は自己が思う性別と相手が思う性別が一致している状態でのみ、考えれば良いってことで」
「うん。で?結論は?」
「あり得ない事はないんじゃないの?きわめて限定的だけど」
「ふうん。で、なんで?」
「だから、友情の定義の問題。例えば、「友情」が同性間でのみ成立する感情だと定義した場合、異性間、つまり男女間では友情は成立し得ない」
「それ、本題からずれてないか?」
「まあ、我ながらひねくれてるとは思うけど。でも、友情の定義を問うのは、論理的に考える上で必要だし、無駄でもないよ」
つまみのエイヒレをかじった。ほんのちょっとのマヨネーズに一味唐辛子をたくさんかけるのが好きだ。
「ほや、ふーじょふが・・・むぐ」
「食ってからしゃべれ」
言われてウイスキーをチビリと飲む。珍しくこっちばかりがしゃべっている。
「友情、と言うか「情」は相手を思いやる気持ちだろ?キスしたいとかセックスしたいとかいう性欲があるのは恋愛感情、愛情の定義は見送るとして、とりあえず、友情に性欲はアウトだろ?自分が死んでも相手を助けたいって言うのもアウトだし」
「極端だな」
「相手が死んだら泣いて悲しむぐらいはセーフかな。日中遊びに行ったり、夜飲みに行ったり、温泉に一緒に泊まったり」
「それはありなのか?」
「同性の友達だったら普通にありだろ?それがおかしい、と言うなら、異性間の友情は同性間の友情とは定義が違う事になるね」
「っつーか、分ってないよ」
「なにが」
「だから、この命題の本質はさ、男と女の間に、性欲以外の感情のつながりがあるかどうかって話だ。友情云々はどうでもいいだろ?」
「それでも答えは一緒だな。ごく限定的にはあり得る」
またウイスキーを一口飲む。ちょっと薄くなって来た。
「だから、なんで?」
「その言い草、あり得ないと思ってる訳だね?」
「質問に質問を返すな。べつにあり得ないとは思ってない。絶対はこの世にないからな」
「だから、似たようなもんだよ。絶対にないとは言い切れない。でも、お互いに「友情」関係を続けようと努力して、周囲もその二人を「友人」と理解して付き合って行かないと、遅かれ早かれ自分たちか周りのせいで続かなくなる」
グラスの氷がコロンと音を立てた。
「ごく限定的っていうのはそう言う意味。Do you understand ?」
「そんな条件あり得るか?」
「何事もあり得ない事はない。1000人にひとりぐらいはいるんじゃないのかな」
グラスの中身は随分減っていた。カウンターの中にいるバーテンが「何か飲まれますか?」と聞いてくるが、とりあえずひらひらと手を振って断った。今日は結構飲んでいる。思い出した事があってぽんっと手を打った。
「なんだよ?急に」
「いやこれ、来る途中に美味しそうだったから買ったのを思い出した」
鞄から取り出したものをカウンターの上に置く。
「生チョコ?あっ、ココで開けるなよ」
「いいじゃん。食べたかったんだ」
ひとつつまんで口に入れる。グラスに残っていたウイスキーを空けて、バーテンを手招きする。
「やっぱり同じのもう一杯ください。それから」
ちょいちょいとさらに手招きするとなじみのバーテンは手の届くところまで近づいて来た。チョコレートを一粒つまんでバーテンの口に放り込む。
「うまいでしょ?」
「ええ。美味しいですね、どこのですか?」
「○○のです。値段もちょっと張るけど。持ち込みなんて行儀悪いけど、今日は見逃して」
もうひとりのバーテンがウイスキーを持って近寄って来た。もうひとつチョコレートをつまんでその口にも放り込む。
「ん、うまいです。手作りですか?」
「まさか」
「あはは。あ、チーフチーフ」
バーテンの声に店の厨房とフロアを仕切るチーフも寄って来た。同じ事を繰り返そうと、チョコレートをつまむが、その手を掴まれる。見れば、連れが自分の口につままれたチョコレートを運んでいる。
「行儀悪い」
「どっちが。串ついてるだろ?」
「あ、本当だ。はい、チーフもおひとつどうぞ」
「いただきます」と笑いながらチーフがチョコを食べた。ココアパウダーの付いた指をちょっと舐めておしぼりで拭う。
「美味しいですね、ありがとうございます」
「良かったらこれ、スタッフの皆さんで食べてください。持ち込みのお詫びに」
ふたを戻してチーフに差し出した。2、3言遠慮していたが最終的には折れてくれた。ウイスキーを一口飲む。チョコレートはバーボンに合う。少し酔ってきたかも知れない。
背後で人が動く気配がした。先の「命題」を話していた大学生たちが帰るところらしい。
『っていうか、ここにいる俺らの間にあるのは友情じゃないってこと?』とそのうちのひとりが問うたが、間違いなく彼らの間にあるのは「友情」だと思う。端から見たらどう考えても彼らは「友達」だ。
「3人以上だとわりかし簡単に「友達」って認識出来るんだな」
「まだ考えてたのか?」
「うん、まあ。自分で言っててちょっと納得がいかなかったから。例えば今の4人のうち男と女と2人だけで飲みにきてたら、そこにあるものが急に友達とは別に見える気がして。同性ならなんとも思わないけど、わざわざ2人だけで会うって言うのが、友達の枠を出てるってことかな?」
「お前いい加減しつこいね」
「性分」
「知ってる」
薄くなってきたロックを飲んで考える。3人以上だと容易に「友情」と受け入れられる関係も、2人になると変わる。大勢「友達」、2人の「友達」。その対比は、大勢と特別。特別な友達を親友と考えても、同性ならすんなり受け止められるが、異性となると違う気がする。やはり、「友情」は同性間のみの感情だろうか。特別な異性、それは限りなく「恋人」に近い。違いは性的欲求があるか無いか。それを問うているのに、いかん、思考が閉じてきた。
「 で、オチは?」
「酔った頭にそんなものを求めるな。ああ、あれだ。『ここにいる俺らの間にあるのは友情じゃないってこと?』だな」
「はあ?」
訝しげな連れに一瞥くれて、残ったウイスキーを飲み干した。連れのグラスはさっきからずっと空のままだ。
「答えは時と場合によるってこと。すみませーん、お勘定お願いします」

あとがき